講談社「アフタヌーン」連載の人気漫画「ヴィンランド・サガ」。11世紀ヨーロッパを舞台に、アイスランドで生まれた少年、トルフィンの物語です。ヴァイキングの文化や実生活に基づいた価値観など、漫画とは思えないリアルな描写が特徴です。そこには立教大学史学科の小澤実教授が歴史考察を担当しているという事実があります。プロの研究家が関わっているので作品の奥深さも納得です。また、この作品の物語自体が完全な創作ではありません。作品タイトルの「ヴィンランド・サガ」も、実際に存在する文献史料の名前から来ています。
ここでは、そんな「ヴィンランド・サガ」をより楽しむため、歴史背景やモデルとなった人物の紹介をしていきます。
実在の史料「ヴィンランド・サガ」
サガ(saga)とは、おもにノルウェーやアイスランドなどの北欧での出来事を文章化した作品の総称です。古アイスランド語の「言う」を意味する動詞 segjaが語源です。現代ではフィクションでよく使われる言葉になっており、ひとつの時代や一家の壮大な物語、ファンタジー作品のタイトルなどで見られます(グイン・サーガ、ゼノサーガなど)。
そして本作品のタイトル「ヴィンランド・サガ」は、全く同じ名前の史料が存在しており、本作品はこの史料を元に創られたものです。そのため「ヴィンランド・サガ」といっても、どちらを指すのか混乱してしまうので、このページでは漫画・アニメの「ヴィンランド・サガ」を本作品、実在した文献資料の「ヴィンランド・サガ」を史料と表現します。
史料「ヴィンランド・サガ」とは、アイスランドの2つのサガ「グリーンランド人のサガ」と「赤毛のエイリークルのサガ」を指します。
「グリーンランド人のサガ」は1200年頃に書かれたとされています。10世紀末から11世紀初頭、北欧人によるグリーンランドと北米大陸の発見と探検が書かれています。このサガでは6度の北米探検が語られており、最初はアイスランドの商人ビャルニ・ヘルヨールフソンが偶然見知らぬ土地を目撃します。次にはグリーンランド人のレイヴル・エイリークソンがその土地を目指して発見、ヴィンランド(ブドウの地の意味)と命名します。その後レイヴルの弟による3度、4度目の航海を経て、5度目の探検ではアイスランドの商人、ソルフィンヌルが3隻の船で65人の入植予定者とともにヴィンランドへ到達します。しかし2度の冬を越した後、先住民達と戦闘が勃発し、入植をあきらめます。
「赤毛のエイリークルのサガ」は書かれている出来事は同じですが、ソルフィンヌルの役割をより重要視したサガとなっており、文学作品としては「グリーンランド人のサガ」より優れているとされています。しかし登場人物が現実離れした活躍をしたり、架空の動物が登場したりと、史実としては信憑性に欠けると考えられています。
アイスランドの歴史
アイスランドは西暦870年頃までほとんど人が住んでいなかったとされています。874年から930年の間はアイスランドの「入植の時代」と言われており、ノルウェーのノルマン人(いわゆるヴァイキング)、インゴルフル・アルナルソンが最初の入植者だと言われています。そして現在のアイスランドの首都レイキャビクには、このアルナルソンの記念像が建っています。
入植が始まる少し前、最初にアイスランドの地を発見したのはスウェーデン人のガルザルでした。ガルザルは860年頃にノルウェーからヘブリディーズ諸島へ向かう航海の途中、風に流されて偶然アイスランド東部に到達しました。その後、ノルマン人のフローキ・ヴィルゲルザルソンが入植を試みるものの失敗に終わります。この時に経験した大地の厳しさから、フローキはこの地をアイスランドと名付けました。
入植の時代が終わった930年から1030年頃の間、史料「ヴィンランド・サガ」を含む多くのサガが作られました。
ヴァイキングとは?
ヴァイキングとは特定の民族を指す言葉ではありません。ヴァイキング時代と呼ばれる800年から1050年の間に、西ヨーロッパやバルト海地域で海賊行為を繰り返す武装集団をヴァイキングと呼びます。
ヴァイキング達は略奪だけを生業としていたのではなく、本業は農民だったり漁師だったり、また暴力を伴わない交易を行う民でもありました。海上で略奪行為など現代の感覚では絶対に許されない非人道的行為ですが、当時は自分達のコミュニティが生き延びるための手段のひとつでした。
作中でもハーフダンがアイスランドの貧しさを語るシーンがありました。「この島は石コロばかりで麦も育たず、牧草地も足りず羊も増やせない。だから大陸に対し略奪遠征を行うことでアイスランドを豊かにしようとした。」漫画の中のセリフですが、当時のリアルな時代背景を表しています。
トルフィン
本作品の主人公トルフィンのモデルは「グリーンランド人のサガ」と「赤毛のエイリークルのサガ」の両方に登場する人物、ソルフィンヌル・カルルセフニ・ソルザルソンです。ソルフィンヌルはグリーンランドで出会ったグズリーズルと結婚。彼女とともに大規模な遠征隊を率いてヴィンランドへ到達しました。グズリーズルはヴィンランドで息子スノッリを生みます。スノッリはアメリカ大陸で生まれた最初のヨーロッパ人と言われています。
ソルフィンヌル達はヴィンランドで2度の冬を越しますが、ネイティブアメリカンの敵意にさらされ、グリーンランドへと戻ります。その後、最後はアイスランド北部に落ち着きました。
レイフ・エリクソン
陽気なおっちゃんとして親しまれているレイフ・エリクソンのモデルは、ソルフィンヌルと同じく両サガに登場するレイヴル・エイリークソンです。サガの名前にもなっている赤毛のエイリークの息子です。単行本1巻でレイフが子供達にヴィンランドを発見した冒険談を自慢げに語るシーンがありますが、実際レイヴル・エイリークソンは初めてアメリカ大陸を発見したヨーロッパ人とされています。
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年、レイヴル・エイリークソンはそれより約500年早い1000年頃に上陸していました。あまり知られていませんが、現代のアメリカでは10月9日はレイヴル・エイリークソン・デーという記念日とされています。
「ヴィンランド・サガ」の結末は?
史料「ヴィンランド・サガ」のソルフィンヌルは、本作品のトルフィンのように奴隷と戦争のない国を夢見たわけではありません。最終的には入植をあきらめたソルフィンヌル。本作品のトルフィンも同じ結末を辿るのか、もしくは史料とは異なる世界線としてヴィンランドで生涯を終えるのか。どんな結末となるか楽しみです。