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学校を意味する英単語、school(スクール)はギリシア語のshcole(スコレー)、ラテン語のschola(スコラ)から来ています。しかしこの2つは元から学校という意味ではなく、暇という意味でした。
■なぜ暇⇒学校になる?
暇といっても、「退屈でダラダラと過ごす時間」の暇ではありません。「余裕がある時間で、生活とは直接関係のない知的な活動や思考を行う充実した時間」という意味です。歴史の授業で習う「スコラ哲学」というものがありますが、時間に余裕がなければ哲学なんてできません。
古代ギリシャや古代ローマでは、哲学や芸術に費やす時間がたっぷりあったので、高度な文化が発達しました。これらは生存のために必要なわけではありません。学問に費やす時間は、充実した幸福な時間だったのです。
学問が幸せな事という感覚はヨーロッパ特有のものではありません。アジアでも同様でした。論語の有名な一節を紹介します。
「学びて時に之を習ふ。亦説(よろこ)ばしからずや。
朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。」
ざっくりと意訳すると、「学習したことを反復練習して自分の身についていくことは喜ばしいことです。そうしていると遠方から自分と同じように学問を志す友人がやってきてともに成長できる。なんと楽しいことか。」という内容です。
現代のschool(学校)はどうでしょうか?子ども達は毎日の宿題やテスト勉強に追われ、その先には受験戦争が待っています。暇どころか忙殺と言う方がしっくりきます。そこまでして勉強する理由は、極論すれば学歴を装備してお金を稼ぐためです。現代社会は効率重視、結果重視、投資に対してリターンは?コスパも重視。目に見える利益が何よりも良しとされます。「なんで勉強するの?」「学校で勉強することは幸せ?」なんて生徒個人の感情などに関わっている時間はありません。古代の先人達が今のschool(学校)を見たら「なにこれ?刑務所?」なんて思うかもしれません。
心の余裕をもって学問する。schoolに本来の意味を取り戻せる日が来るのでしょうか。